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江戸時代かよ?その2
シンケンジャーの話じゃないですw
昨日の聖徳太子が実在した論証をつづけてみる
まず、一般に教科書に書かれている遣隋使等はちょっとうたがわしいのはこれはなんとなく理解できる
とはいっても完全否定できる証拠もないので物証を以ってこれを論ずるのは非常に主観がはいってしまうので却下
ワシはそこで前後関係から推理してみる
そういった功績や影響力のない人物が摂政だったとして蘇我馬子はわざわざ大臣にとどまっているか?
物部氏を太子をもちあげて滅したほどの内乱に近いことをやったのにそこは権力欲の膨張がなかったわけ?
他の時代に天皇家を傀儡にしたりとかやった人々は摂政(藤原家)関白(秀吉)太政大臣(平清盛)
日本国王(足利義満)信長なんかとってかわろうとしてた
いくら権力を左右できるからって名誉欲ってのがどうしてもでるのが心理ってやつ
しなかったってのは摂政である太子になにかしらの実績と戦えば高くつくという実力があったとみるほうが自然
武帝にあこがれる人物であったのであれば仏教に対する敬虔さだけではあらず
武力(智勇)をもつ人物であった可能性がある
そして、後の編者(この場合藤原不比等)がたとえ太子の功績ではないことを添付したとしても
なにかしらの政治的手腕をもった人物であったから聖徳太子というモデルにしたと考えたほうが説得力がますのでは?
その後の天武系の天皇の時代になったときももし厩戸王子(あえてこう言う)がただの何も功績ない摂政なら
歴史から名前をけすこともできたわけだ
しなかったというより時代が近いから人々の記憶にのこる(それも強烈に)状態だったので名前を残さざるをえないのではなかったのじゃない?
2009/02/17 (Tue.) Trackback() Comment(0) 未選択
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