2024
11
01
2009
02
16
江戸時代かね?
シンケンジャーの話じゃないですw
いや、格さん(だったはず)いましたけどw
最近【聖徳太子はいなかった】説が某TBSくずれの自称歴史家のまあ有名な本あたりから
『真説である!』みたいな風潮があるのね
(ちなみにワシはこの自称歴史家がとてつもなく嫌い 理由は資料から考察するのではなく結論ありきで断言するから 歴史を考証するときにやっちゃいかんこと)
実際その著作は初版のときに買った(たとえてめえの気に入らない情報でああろうが情報に罪はない
実は聖徳太子たたきって江戸時代にちょー流行った
理由はそう難しくない
当時徳川の幕府の御用達学問っていったら朱子学をもとにされている国学(本居宣長とか
もちろん仏教勢力ってのはある程度の権利を与えられていたが
信長のころから仏教勢力ってのは敵にまわしたら相当長引く相手
表立って対立できないならとりあえず流行や民衆の考えで削ぐってのが戦略
それで国学の有名人とか聖徳太子を叩きまくってたのね
仏教を国内に根付かせたといわれるから
叩き方がもうちょーパねえぐらい国賊あつかいw
もちろん国学者だってほんとはどうおもってたかはわからんけど
ワシは聖徳太子は実在したと思ってます
もちろん、教科書に書いてあることが全部正しいともおもっとらんよ?
もし実在していない人をここまで有名人にしてことこまかに何をやったか?と書くのは
非常に難しいっていうか無理(アニメキャラとかでもさ後付でキャラ設定しはじめたらもう収集つかんでそ?
反対にそれが創作てことがよけいに顕著になる
実在の人物ならどう変えてもいじれない設定ってのがある(目があるとか口があるとかね
なのでワシの見解では聖徳太子はいましたってことで
しかしながら、やったことに関してはちょっと後付けかな?とおもってます
ワシの私見では聖徳太子はよい意味で「外国かぶれ」の人だったのでは?とおもってます
遣隋使とか憲法とかは本当に作ったかどうかはわからないけど
時代からみると為政者やその周辺のよりどころになってた書物ってやっぱ中国のものだったと思う
そのころの士大夫が読む指南書は六韜や五経、口伝の民間伝承で言うと後漢~南北朝あたりのお話じゃないかとおもってます
そのころの仏教の庇護者で一番有名なのは梁の武帝
この人隋のちょっと前の人なんですが
前半は連戦連勝最強の南朝の皇帝だったんですが
仏教に耽溺してしまい捨身(出家すること)して家臣につれもどされるってのを何回もしたひとw
ただし、この武帝の治世は非常に平和をもたらした(短期間だけどね)
ちょっと前の人にこんなのいましたーって聞いたらやっぱ(政治手法に)あこがれるとおもう
斑鳩宮を仏教のために作ったてのも武帝にあこがれてた人なんじゃないか?と
そう考えたほうがおもしろいじゃろ?
『そんなことはない!いたってことを証明してみろ!』とかいうやつに告ぐ
おまえドラえもんが知り合いにいてんのか?w
いたもいないも証明できるか!
歴史ってのは断定して語るのが一番冒涜なんだよ
2009/02/16 (Mon.) Trackback() Comment(0) 未選択
Comments
Trackback
Trackback for this entry: