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切れる刀は脆い
まあ当たり前といえばそうなんだが
切れ味を高めていくと当然脆くなるんだが(超硬質圧縮製法とかあるけど
野球にあてはめてWBC対策でロッテの渡辺が面白い調整してた
公式球は1オンス以上重い上に触感がまったく違うらしい
日本の球で投げてると変化球とかぜんぜんおもったほうにまがってくれんらしい
なれたころにシーズンにはいって違和感かんじたままになるとのこと
で、3種類の重さと触感が異なるボールを1球ごとに交換して投げていた
これは非常に論理的だとおもった
切れ味の話と同じで同じものをいつも使用して技術を高める作業は
職人と呼ばれてほめられるってのがなんとなくあるが
これって実は特化させすぎた技術は対応可能な動作が限られてくる
もちろんそれしか要求されない仕事はそれでいいんだが
WBCのように同じ仕事なのに少し違う道具を使用ってときに
積み上げた技術が連動しなくなるのよ
これはワシもギター弾くときに気をつけてることなんだが
あえて「触覚を過敏にしすぎない」ということ
プロでもアマチュアでも「オレはこのギター(奏法含む)しか弾かない」とか言ってると
少し応用したプレイもできないうえにコンディションを保つのがとてつもなく難しい
できれば奏法のバリエーションを複数もっていると
(フラットピッキングとフィンガーピッキング←できればそれも細分化してれば良い
触感をローテーションさせることで
持ち替えた時の違和感や苦手意識によるミスやウソを減らしていける
もちろん特化した動きだけでメシ食えればそういう人には関係ないだろうが
いかんせんワシはワーキングぷあーなので必要なのじゃよw
とはいっても逆に鈍化させる作業(あれこれ浅く手をつけすぎとか)も問題になるけどなw
2009/02/21 (Sat.) Trackback() Comment(0) 未選択
2009
02
17
江戸時代かよ?その2
シンケンジャーの話じゃないですw
昨日の聖徳太子が実在した論証をつづけてみる
まず、一般に教科書に書かれている遣隋使等はちょっとうたがわしいのはこれはなんとなく理解できる
とはいっても完全否定できる証拠もないので物証を以ってこれを論ずるのは非常に主観がはいってしまうので却下
ワシはそこで前後関係から推理してみる
そういった功績や影響力のない人物が摂政だったとして蘇我馬子はわざわざ大臣にとどまっているか?
物部氏を太子をもちあげて滅したほどの内乱に近いことをやったのにそこは権力欲の膨張がなかったわけ?
他の時代に天皇家を傀儡にしたりとかやった人々は摂政(藤原家)関白(秀吉)太政大臣(平清盛)
日本国王(足利義満)信長なんかとってかわろうとしてた
いくら権力を左右できるからって名誉欲ってのがどうしてもでるのが心理ってやつ
しなかったってのは摂政である太子になにかしらの実績と戦えば高くつくという実力があったとみるほうが自然
武帝にあこがれる人物であったのであれば仏教に対する敬虔さだけではあらず
武力(智勇)をもつ人物であった可能性がある
そして、後の編者(この場合藤原不比等)がたとえ太子の功績ではないことを添付したとしても
なにかしらの政治的手腕をもった人物であったから聖徳太子というモデルにしたと考えたほうが説得力がますのでは?
その後の天武系の天皇の時代になったときももし厩戸王子(あえてこう言う)がただの何も功績ない摂政なら
歴史から名前をけすこともできたわけだ
しなかったというより時代が近いから人々の記憶にのこる(それも強烈に)状態だったので名前を残さざるをえないのではなかったのじゃない?
2009/02/17 (Tue.) Trackback() Comment(0) 未選択
2009
02
16
江戸時代かね?
シンケンジャーの話じゃないですw
いや、格さん(だったはず)いましたけどw
最近【聖徳太子はいなかった】説が某TBSくずれの自称歴史家のまあ有名な本あたりから
『真説である!』みたいな風潮があるのね
(ちなみにワシはこの自称歴史家がとてつもなく嫌い 理由は資料から考察するのではなく結論ありきで断言するから 歴史を考証するときにやっちゃいかんこと)
実際その著作は初版のときに買った(たとえてめえの気に入らない情報でああろうが情報に罪はない
実は聖徳太子たたきって江戸時代にちょー流行った
理由はそう難しくない
当時徳川の幕府の御用達学問っていったら朱子学をもとにされている国学(本居宣長とか
もちろん仏教勢力ってのはある程度の権利を与えられていたが
信長のころから仏教勢力ってのは敵にまわしたら相当長引く相手
表立って対立できないならとりあえず流行や民衆の考えで削ぐってのが戦略
それで国学の有名人とか聖徳太子を叩きまくってたのね
仏教を国内に根付かせたといわれるから
叩き方がもうちょーパねえぐらい国賊あつかいw
もちろん国学者だってほんとはどうおもってたかはわからんけど
ワシは聖徳太子は実在したと思ってます
もちろん、教科書に書いてあることが全部正しいともおもっとらんよ?
もし実在していない人をここまで有名人にしてことこまかに何をやったか?と書くのは
非常に難しいっていうか無理(アニメキャラとかでもさ後付でキャラ設定しはじめたらもう収集つかんでそ?
反対にそれが創作てことがよけいに顕著になる
実在の人物ならどう変えてもいじれない設定ってのがある(目があるとか口があるとかね
なのでワシの見解では聖徳太子はいましたってことで
しかしながら、やったことに関してはちょっと後付けかな?とおもってます
ワシの私見では聖徳太子はよい意味で「外国かぶれ」の人だったのでは?とおもってます
遣隋使とか憲法とかは本当に作ったかどうかはわからないけど
時代からみると為政者やその周辺のよりどころになってた書物ってやっぱ中国のものだったと思う
そのころの士大夫が読む指南書は六韜や五経、口伝の民間伝承で言うと後漢~南北朝あたりのお話じゃないかとおもってます
そのころの仏教の庇護者で一番有名なのは梁の武帝
この人隋のちょっと前の人なんですが
前半は連戦連勝最強の南朝の皇帝だったんですが
仏教に耽溺してしまい捨身(出家すること)して家臣につれもどされるってのを何回もしたひとw
ただし、この武帝の治世は非常に平和をもたらした(短期間だけどね)
ちょっと前の人にこんなのいましたーって聞いたらやっぱ(政治手法に)あこがれるとおもう
斑鳩宮を仏教のために作ったてのも武帝にあこがれてた人なんじゃないか?と
そう考えたほうがおもしろいじゃろ?
『そんなことはない!いたってことを証明してみろ!』とかいうやつに告ぐ
おまえドラえもんが知り合いにいてんのか?w
いたもいないも証明できるか!
歴史ってのは断定して語るのが一番冒涜なんだよ
2009/02/16 (Mon.) Trackback() Comment(0) 未選択
2009
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12
ラッキークッキーもんじゃやきー
バクマンの1巻買った
やべ、面白い!
「マンガ家をめざす少年?吼えペンか?」とかおもってた
すいませんでした!ガモウ大場さん!
すげー面白いです!
ネーム公開してるってことは正体明かしたってことでいいんですよね?
いや、どうみてもラッキーマンにしかみえないですw
2009/02/12 (Thu.) Trackback() Comment(0) 未選択
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